鳴くホタル

 ホタルの季節になると、どうしても記憶の蓋が開く。そして、誰にも言えない、その思い出が、まるで明滅するホタルの光のように、時には強く甦ってきてケイの気持ちを揺さぶっていく。
 ケイの無言の意味を、リョウは誤解したようだった。 

「忘れろとは、言わねぇよ。むしろ、弟としては、覚えてくれる誰かがいてくれるのは嬉しい――。けど……それがお前で、――お前があいつに心を捕らわれたままでいるのを見るの、辛れぇんだよ!」

 その言葉を、冷静に受け止めている自分がいた。
 リョウが自分を想ってくれているのは、うすうす気がついてはいた。

「……私なんて、リョウ君にそんな風に思われる資格、ないよ。――私、きっと一生、イオリさんのことは忘れられない」

 それが、愛情からなのか、それとも罪悪感からなのか、自分でももう分からなくなっていた。
 イオリとあんな約束さえしなければ、彼は今ここで一緒に呑んでいたのかもしれない。
 実現することのない仮定ばかりが、頭の中を通り過ぎる。

「――忘れろなんて、言ってねぇだろ? 兄貴への想いを抱えたままでも、構わない。兄貴との思い出を偲びたいなら、俺が一緒になって偲んでやるから――。……俺の前で、そんな顔して、一人で抱え込むの、やめろよ」

 リョウ君は、優しい。……優しいけど――本当の私を知ったら、彼は、私のこと、どう思うだろう?
 それは、彼の気持ちを試してみたいというほんのいたずら心だったのか、それとも心の奥底で彼に救いを求めていたからか、あるいは、泣きたい気分でついつい飲み過ぎてしまったアルコールのせいだったのか――。
 どんな理由があれ、ケイはリョウに、二人だけで行くつもりだったホタル狩りの事を話してみたくなった。 

「……ふぅん」

 リョウの答えは、ケイの予想をことごとく裏切った。けなしもしないし、優しく慰めてもくれない。弁護する言葉をくれるわけでもない。

「『ふぅん』って、――それだけ?」
「他に、なんて言えばいいんだよ?」
「だって、私、――私さえいなかったら、イオリさんは死ななかったかもしれないんだよ?」
「それは、結果論でしかない」
「――けど!」
「じゃ、ぜんぶお前のせいにしてほしいのかよっ!?」
「――そういうわけでは……」
「いいか、よく聞け。事実は、『あの日、兄貴が死んだ』ということだけだ。――お前がいなくても、兄貴はあの日死ぬ運命だったのかもしれない。おまえとの約束がなかったとしても、別のところで別のことが起きて、結局アイツは死んでたかもしれないんだ――だから、今更「自分がいなかったら」などと詰まらんことを考えるのは、やめろ」
「……」

 リョウから、思いがけないほどの大きな声が出て、ケイは恐縮してしまった。

 ――言い過ぎたか……?

 項垂れたケイを前に、リョウを後悔の念が襲う。
 だから、何とかその場を取り繕おうと、リョウは話題を探した。
 そして、イオリの遺品を整理しているときに机の引き出しの中で見つけた、小さなダイヤの付いた指輪を思い出す。恐らく、それはケイに渡すつもりの物だったのだろう。そう考えると、イオリはさぞかし無念だっただろうとも思うが――。
 大きなことを言う割には、素直に自分の気持ちを口にできないイオリのこと。だから、ケイとリョウとイオリは社会人になっても仲のいい幼馴染の関係でいられたのだ。三人とも、イオリとケイがお互いに思う気持ちには気がついていながら――。
 アイツ、一体、いつ、どんな言葉とともにこれを渡すつもりだったんだろう?

「――兄貴は、お前のこと、誰よりも大切に思っていた筈だ。……そのお前がそんな思いを抱えて生きていくのを、喜ぶと思うか?」

ケイは頭を横に振った。口は悪いが優しいイオリが、それを望んでいるはずがない。  

「だろ?」

 リョウは、ずるいかもしれないが、指輪の件はケイに話すつもりはなかった。
 そう言ってやれば、ケイは喜んだかもしれない。――けど、それは彼女の中に、今はもういないイオリをさらに刻み付けることになる。それを、リョウも――おそらくイオリも望んではいないだろう。
 しかし、机の中から指輪とともに出てきた、和歌の書かれたメモ。小さいころから国語が苦手なリョウは、意味がよくわからなかったが、これくらいなら、イオリを偲ぶ話としてケイに聞かせてもいいかと思った。リョウにしてみれば、イオリがこの歌をメモした理由も知りたいという気持ちもないわけではなかったからだ。

「お前さ、大学で古文専攻だっただろ?」
「うん。主に、源氏物語ばかりだけどね」
「――なら、この歌の意味、わかる?」と、リョウは形見のつもりで携帯電話に撮った写真の画像をケイに見せた。
「――それ、どうしたの!?」

 ケイの顔色が変わった。
 嬉しいような、それでいてそれを素直に表すのが恥ずかしいような――。
 それは、イオリの側にいるときに時折見せた、照れるような顔に似ていた。
 久しぶりに特徴のある彼の筆跡を見たからだろうか、あるいはこの歌の意味になにか――。

「兄貴の、机の中から出てきた。――和歌なんてガラじゃねぇから、なんか、意味があるのかと思って、取っておいたんだけど――」
「……だから、イオリさん、あの時ホタル狩りは二人で――って……?」

 ケイは、その歌とあの時のイオリの台詞を思い出して、全てを理解した。
 だが、それを理解したところで、当のイオリはもういない。

「その歌……どう言う意味があるんだ?」
「これ、源氏物語の中で詠われてた――」

 ケイはそれだけ言って、口を噤んだ。
 まるで、心の中の大事な何かを守るかのように。

 ――くそっ。いつになったら、兄貴に勝てるんだろう、俺――。

 リョウは、ケイの心の中の大きな部分を占めるイオリに嫉妬した。
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