鳴くホタル
1
ノー残業デーの水曜日。ケイは駅で待ち合わせたイオリと食事に来ていた。
とりあえず頼んだビールを呷ってもう一杯オーダーする彼を頼もしい目で見つめながら、自分もいつもより早いペースでジョッキを空ける。
「くはぁー。――仕事の後の一杯目はサイコーだな」
そろそろ梅雨が始まろうかという、蒸し暑い一日だった。外回りがメインの営業のイオリにとっては、客の前でネクタイを緩めることもできず、辛い一日だったのだろう。
「リョウ君は今日も残業なんて、かわいそう」
「しょうがねぇよ。ちいせぇ会社だから――」
イオリは適当に話を作ったが、本当に残業しているかどうかはわからない。ケイには黙っていたが、リョウに邪魔されたくなかったので、今回は声をかけなかっただけだ。
「なぁ、ケイ。――今度の週末さ、ホタル狩りに連れてってやるよ。ちょっと山ん中だけど、すげぇ穴場があるんだってさ」
二杯目のジョッキが来る間に、イオリはいつも以上に真面目な顔でケイにそう言った。
「ホタルって、こんな時期に?」
「関東の方は、この時期だな。……関西じゃ、もう少し遅いんだろうが――。なんでもホタルの種類が違うらしい」
ホタルなど生で見る機会のなかったケイは、知識の上でしかそれを知らない。しかも、その知識というのは、大学で専攻していた平安時代の古文によるものなので、必然的に『京の都』を中心に語られることになる。
イオリは基本的には理系だが、こういう雑学にも詳しく、時々ケイを感心させる。
「ふぅん――」
「――で、どうする? 行く? オレ、車出すけど?」
「うーん、今度の週末は、出勤だしなぁ……。――リョウ君誘えば?」
リョウはイオリの三歳下の弟だ。ケイと同じ年でノリがよく話も合うので、昔はよく三人で遊んだものだ。大人になった今でも時々三人で出かけることもある。
「あほぅ。大の男が二人でホタル狩りだなんて、気持ち悪ぃだろうよ?」
イオリとリョウが二人で山の中まで車に向かいホタルを鑑賞するところを想像してケイは、あはは、と声を立てて笑った。
「その次の日曜だったら、いいけど?」
イオリは少し考えた。
「その次か……ぎりぎりかな。ホタルの時期は短けぇんだよ。――それ逃したら、来年だからな」
複雑な表情でイオリは念を押した。
来年まで、待てるだろうか?
ロマンティックなシチュエーションは、他にも沢山ある。夏の花火大会に、クリスマス――。
けれど、イオリには、ホタルにこだわる理由があった。
「わかった。じゃ、絶対空けとく。――リョウ君も、誘う?」
「だーかーらー、なんでそこであいつの名前が出てくんだよ?」
「だって、兄弟いつも仲いいじゃん? そんな珍しいもの、見せてあげたいと思わないの?」
「今回は、無理!」
特別の日にしたいから――。
今にも、口にしたいその想いを何とかしまいこんで、イオリはケイに微笑んだ。
そこへ、「お待たせしました」と二杯目の生ビールが来たので、その話は一旦そこで途切れた。
――しかし、結局その年、二人がホタルを見に行くことは叶わなかった。
とりあえず頼んだビールを呷ってもう一杯オーダーする彼を頼もしい目で見つめながら、自分もいつもより早いペースでジョッキを空ける。
「くはぁー。――仕事の後の一杯目はサイコーだな」
そろそろ梅雨が始まろうかという、蒸し暑い一日だった。外回りがメインの営業のイオリにとっては、客の前でネクタイを緩めることもできず、辛い一日だったのだろう。
「リョウ君は今日も残業なんて、かわいそう」
「しょうがねぇよ。ちいせぇ会社だから――」
イオリは適当に話を作ったが、本当に残業しているかどうかはわからない。ケイには黙っていたが、リョウに邪魔されたくなかったので、今回は声をかけなかっただけだ。
「なぁ、ケイ。――今度の週末さ、ホタル狩りに連れてってやるよ。ちょっと山ん中だけど、すげぇ穴場があるんだってさ」
二杯目のジョッキが来る間に、イオリはいつも以上に真面目な顔でケイにそう言った。
「ホタルって、こんな時期に?」
「関東の方は、この時期だな。……関西じゃ、もう少し遅いんだろうが――。なんでもホタルの種類が違うらしい」
ホタルなど生で見る機会のなかったケイは、知識の上でしかそれを知らない。しかも、その知識というのは、大学で専攻していた平安時代の古文によるものなので、必然的に『京の都』を中心に語られることになる。
イオリは基本的には理系だが、こういう雑学にも詳しく、時々ケイを感心させる。
「ふぅん――」
「――で、どうする? 行く? オレ、車出すけど?」
「うーん、今度の週末は、出勤だしなぁ……。――リョウ君誘えば?」
リョウはイオリの三歳下の弟だ。ケイと同じ年でノリがよく話も合うので、昔はよく三人で遊んだものだ。大人になった今でも時々三人で出かけることもある。
「あほぅ。大の男が二人でホタル狩りだなんて、気持ち悪ぃだろうよ?」
イオリとリョウが二人で山の中まで車に向かいホタルを鑑賞するところを想像してケイは、あはは、と声を立てて笑った。
「その次の日曜だったら、いいけど?」
イオリは少し考えた。
「その次か……ぎりぎりかな。ホタルの時期は短けぇんだよ。――それ逃したら、来年だからな」
複雑な表情でイオリは念を押した。
来年まで、待てるだろうか?
ロマンティックなシチュエーションは、他にも沢山ある。夏の花火大会に、クリスマス――。
けれど、イオリには、ホタルにこだわる理由があった。
「わかった。じゃ、絶対空けとく。――リョウ君も、誘う?」
「だーかーらー、なんでそこであいつの名前が出てくんだよ?」
「だって、兄弟いつも仲いいじゃん? そんな珍しいもの、見せてあげたいと思わないの?」
「今回は、無理!」
特別の日にしたいから――。
今にも、口にしたいその想いを何とかしまいこんで、イオリはケイに微笑んだ。
そこへ、「お待たせしました」と二杯目の生ビールが来たので、その話は一旦そこで途切れた。
――しかし、結局その年、二人がホタルを見に行くことは叶わなかった。
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